監修者の清水が最初に会社を作ったのは、26歳のときでした。大学を出てマイクロソフトの日本法人に入り、そこから一転、海外のプライベートアイランド、つまり個人所有の島を紹介する仕事です。富裕層ブームのおかげで雑誌にも取り上げていただいて、当時はまさに夢のような仕事をしていました。ただ、現地の視察や海外業者との交渉に思った以上のお金がかかり、想定よりずっと速く資金が尽きていきました。
お金がなくなってどうしようもなくなった頃、前職のIT業界のつてで、モバイルベンチャーの立ち上げに参画することになりました。ベンチャーキャピタルから億単位の資金を調達して、社員も20名弱まで増えました。このままいけば20代で上場企業の役員になれるはずでした。
ところがしばらくして、経営陣のあいだでビジョンが食い違いはじめ、組織のほうが先に壊れました。リーダークラスが一人、また一人と会社を離れ、そのまま解散です。
30歳で、実質フリーターになりました。ホテルのウエイター、パソコン教室の講師、バーの店員と、学生さんに混じってアルバイトをする日々です。そこから今度は当時、流行り始めたアフィリエイトビジネスに全部の時間を注ぎ込みました。アルバイトはすべて辞めて、寝る間も惜しんでウェブサイトを作り、三か月後、手にした報酬は1500円でした。
友人との食事に出かける前、財布を開いたら
入っていたのは数十円でした。
口座の残高はゼロ、キャッシングも限界。カバンにたまたま入っていた商品券を換金して、ぎりぎりで食事に行けた、という有り様でした。あのときの感覚は、今でも覚えています。
転機は、やり方を本場から仕入れると決めたことでした。またアルバイトでお金を貯め、海外の経営教材を買い込んで、書いてあることをそのまま実践したのです。すると結果がまるで変わりました。ブログ開設から一週間で1万円を超え、やがて月に50万円ほどに。得たお金は、ほとんど次の教材とセミナーに突っ込みました。そのうちに、海外で出会った方と組んだプロジェクトで、24時間で1000万円、最終的に1億円弱の売上が立ちました。
やがて「教えてほしい」という依頼が来るようになり、コンサルティングの仕事が始まります。海外の情報を掘り続けるうちに、マイケル・E・ガーバー氏の考え方に行き当たりました。『はじめの一歩を踏み出そう』は会社員時代にも読んでいたのですが、当時は読み流していました。自分で事業をやって全部つまずいてみて、ようやくあの本の意味が分かったのです。2010年11月に本人の講座に参加し、翌年から日本で広める仕事を始めました。
ただ、続けるうちに、ガーバー流の仕組み化は日本の会社に合わせて組み直したほうが機能する、ということも見えてきました。欧米では経営者の手を離れて回る状態が理想とされますが、日本には働くことに美徳を見る文化があり、現場の質も高い。むしろ現場主導で作ったほうがうまくいきます。松下幸之助さんや稲盛和夫さん、東洋思想を学び直す中で、人徳と仕組み、つまり徳治と法治の両方が要るという結論に戻ってきました。そして、作ったのが「仕組み経営」という仕組み化を体系的に実践する手法です。
この考え方をまず試したのは自分たちの会社でした。当時自分がやっていた講座をまず仕組み化しました。次に、コーチングという非常に属人的で職人色が強い仕事も仕組み化しました。その結果、いまでは認定コーチの方々が、この型を使って各地の会社をご支援できるようになりました。
当日は、私が作った仕組みの実例もお見せします。属人性の塊と言われる仕事を、どう分解して、どう型にして、どうやって他の人が使える状態まで持っていったのか。自社の実物を開いてご覧いただきます。
だからこの講座は、一度つまずいた側から、そして実際に自分たちで作ってみた側から、同じ道をこれから通る方へ、正しい順番をお伝えする場です。